2013年 3月卒業
松本 航平先生

東京農業大学第一高等学校・中等部 数学科 教員

教員として、後輩たちとともに学ぶ日々です
小学生の頃から
先生になると決めていました

■ 高校卒業から
今に至るまでのことを教えてください。

高校卒業後は、東京学芸大学 教育学部中等教育教員養成課程に進学しました。中高時代、硬式テニスに力を入れていたので、テニスを続けながら教員免許を取れる環境が決め手となりました。大学のテニス部にはコーチがいなかったので、仲間同士お互いに高め合いながら練習をしていました。真面目な熱い仲間が多かったですね。数学の教員を目指したのは、小学生の頃から算数が好きだったからです。得意科目、という観点で見ると、化学のほうが得意だったのですが、先生として教えることを考えたら、周りがなぜできないかわからないほど得意な化学よりも、好きだけど苦手な部分もある数学のほうが、数学が苦手な生徒の気持ちもわかるのではと思い、数学を選びました。

卒業後、数学科の教員として江東区の公立中に赴任しました。公立中学校を10年ほど経験してから、いずれは農大一中・一高に戻ってきたいと思っていましたが、たまたま卒業生として本校を訪れた際、数学科教員の募集があると恩師に声をかけてもらいました。思い描いていたよりはずいぶん早いタイミングになりましたが、私学の教員募集は不定期ですし、この先タイミングが合うかどうかわからないと思い、採用試験にチャレンジし、今に至ります。

学び続ける先生方が
本校の魅力だと思います

■ 農大一高での思い出について教えてください。

農大一中は、一つ上の姉が受験したことをきっかけとして知りました。硬式テニス部があること、理系の教育が充実していることに興味を持ち、第一希望として受験しました。 入学してみて感じたのは、数学の授業の進度が公立よりもかなり速かったということです。でもそれは公立中学校に進学した友人と話をして初めて気が付いたことで、自分では進度が速すぎるという意識はなく、授業は楽しかったです。中学の数学の先生は、毎回数学に関するなぞなぞのような問題を出してくれていましたね。

中高時代はずっとテニスに熱中していました。部活での練習はもちろん、部活が休みになる定期テスト期間も自主練をしていて、周りからも驚かれるほどでした。そのため、勉強は学校の授業ですべて理解し、自宅学習はしなくてもよい環境をつくっていました。 高2で学芸大に進学することを決め、高3から受験勉強をスタートしました。テニス部を引退してからは、これまで部活に当てていた時間をすべて勉強時間として過ごしました。

行事については、私たちの代でやっと3学年そろったので(※中等部が2005年に開校、中等部3期生だった)「自分たちで学校をつくっている」という感覚は強かったですね。先生たちも、生徒がやりたいということに対し、やってごらんと見守ってくれる雰囲気で、それは今でも変わらないと感じます。中学で北海道への修学旅行、味噌づくり、新巻鮭づくりなどは、農大ならではの体験として印象に残っています。

自分が教員として本校に戻ってきて、あらためて周りの先生たちがすごいと思う点は、それぞれの先生が担当教科について日々学び続けていることです。外部の研修にも積極的に参加されたり、研究論文を書いたりしている先生もいらっしゃいますし、先生同士、刺激を与え合っていると感じます。自分が生徒だったときには、授業内容が難しいと感じていた先生は、できる範囲のことをやるだけでは、生徒の力にならないという考えに基づき、難問で負荷をかけていたんだなと今ではわかります。

また、テニス部の顧問の先生は、生徒と同じ練習メニューをやってくれて、同じ体験をしているからこその立場で、色々なアドバイスをくれました。その先生に限らず、本校には良い意味で同じ目線で意見をくれる先生が多いと感じますね。



色々なことに
挑戦してください

■ 後輩へアドバイスがあればお願いします。

中高時代は、色々なことに挑戦してください。校内にも、校外にも、様々なチャンスがあります。たとえば、2018年度からスタートした「一中、一高ゼミ」は、教養講座や専門講座、教科横断型講座や外部コンテストへ向けた講座など、とても充実しています。興味のあることにどんどんチャレンジしたほうが、視野の広い大人になれると思います。


2013年 3月卒業松本 航平先生

東京農業大学第一高等学校・中等部 数学科 教員
(2019年6月取材)

大学時代はOBとして一高テニス部の合宿に参加し、後輩たちを指導

高3の桜花祭(文化祭)では、食品ブースを出店

農大一高の同級生とは卒業後も折に触れ集まる

PEOPLE